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  日本のコーヒーは長崎から
   
 
[ 3 ] 日本へのコーヒー伝来はいつ、どこに? 次のページへ
   
 
西暦 世界のコーヒー歴史 和暦 日本のコーヒー歴史
1543   室町-戦国時代 種子島に鉄砲伝来
1549     ザビエル日本へキリスト教伝来(ぶどう酒、パンの伝来)
1571   安土・桃山時代 長崎開港、ポルトガル貿易開始(1639年出島追放まで)
1582 ヨーロッパに最初にコーヒーを紹介した
ドイツ医師ラウヴォルフ「シリア旅行記」
関が原の戦い
1584   スペイン貿易船、平戸にて交易開始(1623年鎖国令まで)
1600   オランダ船リーフデ号豊後に漂着
1600頃
イスラムの巡礼者B.ブタンがコーヒーの苗木を
イエーメンからインドに持ち帰り、栽培。
 
1609
  オランダの平戸貿易始まる。
全日本コーヒー協会のHPではこの年平戸の和蘭商館に
コーヒーが伝えられたと言われていると書かれているが、
左記の世界のコーヒーの歴史をみれば疑問である
1613
  江戸時代〜
徳川秀忠
イギリス商船が平戸に来航、
イギリス商館開設(1623年商館閉館まで)
1615
イタリアのベネチアにコーヒー伝わる 大坂夏の陣、豊臣氏滅亡
1616
オランダにコーヒー伝わる 欧船の来航を平戸と長崎に制限
1624
  江戸時代
徳川家光
長崎の殿村寿助、ポルトガル人よりカステラの製法伝授
1633   鎖国令
1636
  長崎港に出島完成。 当初ポルトガル、1641から幕末まで約200年間オランダ貿易の拠点であった
1639   ポルトガル人の来航禁止
1640
オランダのアムステルダムにコーヒー店誕生。
オランダの商人がイエーメンのモカ港からコーヒーをヨーロッパへ初輸入
1641
  長崎出島にオランダ商館設立
(鎖国の完成)
1645
イタリアのベネチアにコーヒー店誕生
江戸時代
徳川家綱
(〜1680)
 



江戸時代
徳川綱吉
元禄
(1680〜1709)
 




江戸時代
徳川吉宗
(1716〜1745)























江戸
田沼時代
(1767〜1786)
 
1652
イギリスのロンドンにコーヒー店誕生
 
1668
北アメリカにコーヒー伝わる
 
1669
フランスのパリにコーヒー店誕生  
17世紀後半
16世紀後半ヨーロッパに伝わったコーヒーが、
17世紀後半にはヨーロッパ全土に普及する。
1684
  「丸山艶文」に「(なんばんちゃ)」の記述あるが、コーヒーのことか否か疑問?
1689
  長崎に唐人屋敷
1690
  ケンプエル「江戸参府紀行」にはコーヒーの記述なし。
1699
オランダがジャワでコーヒー栽培に成功。コーヒー栽培と販売の主導権をオランダ人が握る
左記のオランダ商人が世界のコーヒー貿易の主導権を握ったことが契機となって、長崎出島にコーヒーが持込まれたと考えるのが最も確立が高い。
1701〜3
  忠臣蔵
1708〜
  蘭学の発生
1711
ジャワ島産コーヒーがアムステルダムで初競売
 
1720頃
コーヒーの木、 オランダからフランスを経由して中米に移植。 これが現在最大のコーヒー生産地南米・中米のコーヒーの先祖
1724
  「和蘭問答」に「唐茶」の記述あるが、
コーヒーのことか否か疑問?
1727
ブラジル最初のコーヒー農園
 
1730
ジャマイカにコーヒー伝わる
 
1732
バッハが「コーヒー・カンタータ」を発表
 
1770頃〜
イギリス産業革命
 
1771
  ロシア船阿波に漂着
1774   解体新書出版
1776
アメリカ13州独立宣言 オランダ医ツンベルクの「日本紀行」に「二、三の通訳のみがようやくコーヒーの味を知るのみである」
1782
   
1783
長崎の蘭学者志筑忠雄の「万国管窺」に「阿蘭陀の常に服する「コッヒイ」と云うものは形豆の如くなれど実は木の実也」
1789
フランス大革命 長崎の山本氏「紅毛本草」。仏人N.ショーメル「家事百科事典」(1709年発行)を抄訳した。 コーヒーを「古闘比以」と記すなど、コーヒーの異名、薬効、飲み方等記述
   
 
コーヒーは日本古来にはなく、海外からの移入品である。前記までのコーヒーの歴史に中国は登場しないので、南蛮人・紅毛人との交易から調べていこう。

1543年 ポルトガル船が種子島に漂着、ヨーロッパ人の初来日、鉄砲伝来。 
1549年 スペイン人F・ザビエル一行がキリスト教伝導目的で来日、九州で布教活動。
1571年 長崎開港、ポルトガル貿易開始(1639年出島追放まで)
1584年 スペイン貿易船、平戸にて交易開始(1623年鎖国令まで)
1600年 オランダ船平戸へ。1641以降約200年間長崎出島で貿易。
1613年 イギリス商船来航、平戸にイギリス商館開設。(1623年閉館まで)
1633年 鎖国令
1636年 長崎港に出島完成、当初ポルトガルが、1641年から幕末まで約200年間オランダ貿易の
       拠点であった。

1639年 ポルトガル人来航禁止

以上のように各国の来航を年代を追って調べていくと、ポルトガル、スペイン、イギリスが日本と交易を行ったのは、17世紀初頭までの、コーヒーがヨーロッパに普及する以前のことで、彼らがコーヒーを日本へ持ち込む可能性はほとんどない。
全日本コーヒー協会のHPではオランダの平戸貿易始まった1609年にコーヒーが伝えられたと言われていると書かれているが、上記のヨーロッパへのコーヒー伝来の時代考察からまだ無理であろう。

奥山儀八郎氏は版画の中で、1684年、1716年、1724年、1776年の4つの日本伝来説をあげている。このうち、1684年は「丸山艶文」の「(なんばんちゃ)」の記述からと推定されるが、当時のコーヒー世界の情勢から少々無理があると思われる。1724年「和蘭問答」の「唐茶」の記述は、コーヒーのことか否か疑問はあるが、時代考証からコーヒーであってもおかしくない。
コーヒー伝来の確実な記述としては、1776年オランダ医ツンベルクの「日本紀行」に「二、三の通訳のみがようやくコーヒーの味を知るのみである」と。
つまり1776年にはコーヒーは日本へ伝来済である。
1641年のオランダ商館設立以降のオランダであるが、1600年代後半はヨーロッパにコーヒーが普及している時であり、アラビア産の貴重なコーヒーをわざわざ東洋の端の日本へ持ち込むことは考えがたい。

1699年オランダがジャワでコーヒーの商業的栽培に成功、世界のコーヒー栽培と販売の主導権をオランダ人が握ったこと、鎖国時代の日本で唯一交易の窓口であったのが長崎出島のオランダ商館であったことを考慮すると、
1699年オランダがジャワでコーヒー栽培に成功した後、1700年代初頭に、オランダ人が長崎出島へコーヒーを持ち込んだと推定するのが、もっとも妥当と考えられる。したがって長崎出島に入ってきたコーヒーはアラビア原産のコフィア・アラビカ種「モカ」で、ジャワ農園産だったと推察されます。
 
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